過去のコラム

 
文章 : 塾長 砂押 利典

「インナーピース/ギヤ」
2019年2月

 みなさんは「インナーピース」という言葉を知っていますか。日本語に直すと「内なる平和」となりますが、心の中の平穏という意味です。「平常心」に近いでしょうか。落ち着いていて、いつもどおりの力が出せる心の状態です。これと逆なのは、心が乱れた状態です。たとえば大きなプレッシャーやストレスがかかると、心は乱れます。あせりやいらだちから、正しい判断ができず、ふだんの力が出せなくなります。入試や定期テストのとき、ふだんの力が出せないと大変です。『わからない、どうしよう。やばいやばい…。』とパニックになったら、大ピンチです。
 では、どうすればよいか。第一に、自分の「心の状態」を判断することです。『今、あせっている。』などとわかれば、対処できます。自分を客観的に見ることが大事。想像の目で自分の心の状態を見るのです。第二に、冷静になること。深呼吸をしたり、笑顔をつくってみたりして、自分をリラックスさせるのです。心の中で『インナーピース』と唱えるだけでも効果があります。『落ち着け自分。しっかりしろ。あせっても意味がないぞ。今の状況を受け入れよう。そのうえでベストを尽くそう。』などと自分に言い聞かせると、少し楽になり、インナーピースを保つことができます。
 一方で、「いつもの力では足りない」という場合もあります。スポーツで強敵と戦うときや、テストで難問に挑戦するときなどです。こういうとき、いつも以上の力が必要です。つまり「ギヤを上げる」必要があります。ふだん以上の力を出せるように集中力を高めるなど、自分の精神状態をコントロールするのです。小学生でも、できる人がいます。やさしい問題を解くときは通常モードで、応用問題になったら「ギヤを上げて」集中し、頭をフル回転させるのです。SGでは、今の小6のみなさんが「自然に」できています。学力テスト対策のときの表情・スピード・正確さを見ているから、そう言えるのです。中学生諸君の中には上手な人もいますが、発展途上の人もいます。あなたはどうですか。自信ないという人も、意識してギヤを上げてみましょう。学習効率も高くなるので、上をめざすには不可欠な技術です。
 インナーピースの技術は、失敗を回避する技術です。ギヤを上げる技術は、高い成果を勝ち取る技術です。どちらの技術も、ここぞというとき役に立ちます。入試では当日はずっとインナーピースを保ち、試験開始と同時にギヤを上げて実力以上の力を出したいですね。もちろん諸君の長い人生の中で、入試だけでなく試練と言える場面が何回か来るでしょう。苦しいとき、つらいときでもインナーピースを保ち、ここぞというときにギヤを上げて、いろいろな困難を乗り越えていきましょう。

「アクセル/猪突猛進」
2019年1月

 新年、おめでとうございます。今年も学習を通じてみなさんの成長に役立てるよう、力を尽くしてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、2019年のテーマは、「アクセル/猪突猛進」とします。車のアクセルは、加速するときに踏み込みます。学習においても、アクセルを踏むべきときがあります。模試の前、定期テストの前、漢検・英検などの前、そして受験生の夏と冬など、ここぞというとき、心のアクセルを踏んで、意識して上のギア(=高い集中力)に切りかえましょう。加速したら、猪突猛進です。「猪突」とは、いのししがまっすぐ走るように、向こう見ずに突き進むことです。猪突猛進とは、ある目的に向かって向こう見ずにひたすら突き進むことです。
 たとえば「この学校に合格する」と決めたら、ひたすら努力するべきです。「向こう見ず」でいきましょう。つまり、結果についてくよくよ考えないこと。100%自分を信じて突き進みましょう。力強く突き進む姿こそ猪突猛進です。かくいう私も10代のころ、目標の大学を決めて、猪突猛進に努力したものです。
 少し高めの目標を達成するには、猪突猛進にがんばるべきです。大切なのは、いのししのように突っ走ること。くじけないこと。自分を信じて疑わないこと。ひたすら努力すること。これができれば、成功します。必ず成功すると信じて、信じきって全力で努力した人が、成功するのです。
 受験生諸君、ゴールは目の前です。気持ちを強く持ちましょう。努力は決して裏切りません。いのししのように突っ走りましょう。不安を吹き飛ばし、自分の弱さを吹き飛ばし、自分の甘さを吹き飛ばして、走るのです。ひたすら突き進むのです。その姿を見せれば、家族の不安も吹き飛びます。
 受験生でないみなさんも、いずれ試練のときは来ます。気持ちで負けていたら、勝てるものも勝てないということを、よく覚えておいてください。そのために、スポーツでも芸術でもなんでも、自分の心を強くするための経験を積んでおきましょう。いざというとき、甘さや幼さは命取りになります。つらいことが自分を成長させ、甘さや幼さをそぎ落としてくれます。それが力強く猪突猛進に努力できる人の、心の下地となるのです。 

「給食の完食」
2018年12月

 先日、「給食の完食」についての報道がありました。一部の先生が、生徒に給食を残さず食べるよう強制するという問題です。その結果、不登校になった生徒もいるそうです。みなさんは、どう思いますか。
 アレルギーの場合は、もちろん理解してもらえるはずです。牛乳を飲むとおなかをこわす、などの場合も、強制されないでしょう。では、単なる好ききらいの場合は、どうでしょう。これは微妙です。昔は「給食は残しちゃダメ。」という考えの人が多かったと思います。今は「きらいなら、無理に食べなくてもいいと思う。」という考えの人が多いようです。では、その「無理に」とは、どの程度の無理でしょうか。死ぬほどイヤなのか。それとも、ちょっと苦手なだけか。後者なら、食べましょう。栄養のバランスや、作った人の気持ちも考えるべきです。わがままな小さい子ならともかく、小学生以上なら、苦手を少なくする努力をしましょう。でも、死ぬほどイヤなら、さすがに急には無理でしょうね。
 「つらいなら、ガマンしなくていい」という考え方は、程度の問題です。もちろん、そう言ってあげるべき場合もあります。たとえば、いじめを受けていて「死にたい」と思っている人。当然ですが、生きていく上で一番大事なのは「命」だからです。命の危険があるなら、その状況は回避するべきです。それこそ「無理に」学校へ行くより、命を守りましょう。大人の世界には、過労死というものもあります。それは、働き過ぎから命を失うことです。いろいろ事情もあるでしょうが、やはり命には代えられません。みなさんが大人になって、仕事が忙しくて命の危険を感じたら、なんとかしてその状況から脱出しましょう。
 個人的なことで恐縮ですが、実は先日、私の「おば」が亡くなりました。世話になった方なのでショックでした。そういうことがあると、命について考えます。やはり一番大事なものです。次に大事なのは「健康」ですね。
 逆に言うと、命と健康に問題がなければ、多少のことは乗り越えるべきです。ちょっと苦手な食べ物くらい、命の危機と比べたらなんということもありません。なるべく乗り越えましょう。苦手が少ないと、将来とても便利です。大げさに言うと、自分の可能性が広がります。逃げてばかりいるのは、自分にマイナスです。
 食べ物だけでなく、勉強でもそうです。苦手の克服こそ、自分を一回り大きくします。弱点を克服しようという気概のある人は、必ず進歩します。今の自分に満足しない人が、自分を向上させる、そう思いませんか?

「伝わる言葉を選ぶ力」
2018年11月

 ある日曜日、リビングでお母さんと子どもがテレビを見ています。子どもが思い出したように「そうだママ、タカシ君がね、おもしろかったよ。」と言い出しました。ママが「ん? それって、いつのこと?」と聞くと、「えっと、きのう。」との返事。さらにママは「きのう、学校なかったでしょ。タカシ君と会ったの?」と聞きます。「うん。」「どこで会ったの?」「えっとね、公園でぐうぜん会った。」
 すると、ママは真顔になって言います。「そろそろさあ、ちゃんと話すようにしようか。」子どもはわけがわからず「どういうこと?」と聞きます。ママは心配そうな顔をして言います。「学校でね、うまく話すのが苦手だって、担任の先生に言われちゃったの。確かにもう、小さい子じゃないでしょ。初めから『きのう、公園でね』とか言おうよ。言えるよね?」「…うん。」子どもは考えます。『そうか。まず「きのう、公園でタカシ君に会ったんだ。」って言い出すほうが、きちんと伝わるもんな。うん。これから気をつけて、ちゃんと伝わるように話そう。ママを心配させちゃうし。』
 この会話、みなさんはどう思いますか。自分は大丈夫だと思いますか。それとも…? 
 ところで、昔こんなことがありました。ある生徒が「今度、練馬東中の『文化祭みたいなの』があるんです。」と言います。私が「文化発表会だろう?」と聞くと、「そうです。先生、ご存知だったんですね。」と言います。今は文化祭をやらない中学も多いですが、練馬東中や光が丘一中のように「文化発表会」という名称で行う中学もあります。この生徒は、文化発表会という言葉では伝わりにくいと考えたのでしょう。伝わりやすい「文化祭」という言葉に変換してくれたのです。伝わる言葉を選ぶ配慮です。ちなみに、この生徒は上位の高校に進学しました。
 伝わる言葉を選ぶ力のある人は、表現力があります。さらに、伝わるかどうか想像する想像力もあります。相手が理解するかどうか判断するためには理解力も必要です。それらの力は、学力に表れます。国語だけではありません。数学の証明や英語の読解などにも、はっきり表れます。
 ですから、親に「伝わるように考えて話しなさい。」と言われたら、感謝するべきです。注意してくれるのは、あなたの成長のためです。コミュニケーションの技術は、生きていく上で重要です。それだけではありません。学力アップにも欠かせないものです。ですから、適切な言葉を選ぶことを、日々心がけましょう。

「個人差/コーチ」
2018年10月

 ある日の中学生の授業です。私が教室に入ると、ほぼ全員が英単語の確認をしていました。単語の小テストがあるのです。でも一人だけ、ぼーっとしている生徒がいました。『やる気のある生徒なのに、どうしたのかな』と思いつつ、単語テストを始めました。様子を見ると真剣にテストの問題に向かっています。
 採点してみると、その生徒だけ低い点数でした。昔なら「君は休み時間に単語帳を見ていなかっただろう。ぎりぎりまで覚える努力をしなさい。」などと、叱るところです。ストレートな言葉で、野球で言えば直球です。でも、私は変化球を投げてみました。こう言ったのです。「あえて、なのかい。つまり、あえて休み時間に単語帳を見ないで、単語テストに挑戦してみたのかい?」と、聞いたのです。すると「いえ、うっかりしてました。」との返事です。私は「そうか。単語は覚えていれば書ける。覚えていなければ書けない。そうだよな。」と言いました。「はい。」と素直な返事。すると、次の単語テストからはその生徒もしっかりと確認するようになり、得点も上がりました。
 上から目線で「覚える努力をしなさい。」と言われるのは、あまり気持ちのいいものではありません。平気な人もいますが、上から言われると、すごく傷つく人もいます。反発して怒る人もいます。逆に全く反省しない人もいます。つまり個人差が大きいのです。特に今の時代はそうです。昔に比べて、今は「叱られること」が少なく、慣れていない人がいます。もっとも、個人差はあります。大人との関係性にもよります。教師の人間性にもよるでしょう。相互理解と信頼が何より大事です。それを築くためにも、第一に生徒をよく観察し個性を把握すること、第二に「接し方の選択肢」を多く持っておくこと、教師として、この2点が非常に重要だと思います。
 ところで、去年から今年にかけてスポーツ界の様々な問題が報道されています。一連の報道を見てつくづく思うのは、コーチのあり方についてです。教師は、学習について指導する「コーチ」でもあります。
 まともなコーチは、教え子を向上させるためにどうすればいいか真剣に考えます。自分自身は信頼される人になろうと努め、また自分の指導技術をもっと磨こうと考えます。そのために、自分の精神性や技術を高める努力をします。今の自分には何が欠けているか、どうすれば補えるか、考えて工夫するものです。スポーツ界でも、すぐれたコーチはそうしています。最近では、大坂なおみ選手のコーチなど、大いに参考になります。
 私も「すぐれたコーチ」になりたいので、もっともっと努力します。ともに向上していきましょう!

「応用力/能力アップ」
2018年9月

 9月です。学校が始まりました。二学期は学習内容のレベルが上がります。基本問題でも歯ごたえがあるのですから、応用問題は言うまでもありません。応用力のある人は楽しめます。「応用はちょっと…」と思う人も、がんばりましょう。とことん考え抜くことで能力がアップし、応用力を高めることができます。
 応用力と言えば、先日こんなことがありました。4年生のX君が応用問題を解いているときです。さすがに難しいので、ヒントをあげました。基礎はできているので、解き方までは教えません。第1ヒントで解くことができれば、考える力がつくからです。様子を見ると、みけんにしわを寄せて、考えこんでいます。しばらくしても、同じ姿勢のまま、ずっと考えています。『まずいな…。』教師としては、ギリギリの勝負です。
 私は考えます。『解けないと、イヤになってしまうかも知れない。やる気ダウンの危険がある。かといって、これ以上ヒントを出すと、自分の頭で考える力がつかない。あのヒントで解ければ、考える力がつくけど…。まだ考えているようだ。やはり無理かな。もうあきらめて、次のヒントを出そうか。』
 そう思った瞬間、X君の表情が、ぱっと明るくなりました。鉛筆が動き出します。解答を書き「できました。」とアピールします。解答を見て、「正解! ああよかった。」と、私は声に出して言いました。「よくできたね。がんばった。」これは本音です。本人も嬉しそうです。「これで、かしこさがアップした。自分の頭で考えて、解けたから。」と、ほめてあげました。
 こういうことの積み重ねで、少しでも応用問題の楽しさがわかってくれれば、私としても嬉しいです。この場合、X君の「思考力」と「ねばり強さ」をある程度知っていたから、私も待つことができたのです。
 私は日々の指導の中で、みなさんが問題を解く様子を観察しています。そして、能力を推し量っておきます。私が見ているのは、第1に基本能力、第2に精神面です。基本能力とは、記憶力・理解力・思考力・集中力などです。精神面とは、意欲・意志の強さ・ねばり強さ・前向きさ・心の活発さ・逆境への耐性などです。当然、レッテルを貼るのではなく、評価を日々更新します。みなさんの能力は毎日のようにアップしているからです。その能力アップを見るのが、私にとっては大きな楽しみです。

「言葉の知識/体験と反省」
2018年8月

 夏休みです。受験生にとっては、勝負の夏です。合格を勝ち取るため、全力で自分自身に力をつけましょう。受験生でない人は、知識を増やすチャンスです。夏休みを有効に使って、いろいろ体験しましょう。
 学習面から言えば、特に言葉の知識を増やしてほしいです。一つ例を挙げると「良心の呵責(かしゃく)」という言葉があります。悪いことをしてしまったとき、自分の中の良心が痛み、自分の行為を責めることです。ただし、言葉だけ知っても意味がありません。実際に体験するか、小説や映画などで味わうと、本当の意味がわかると思います。そのためには、まず、自分の良心に気づいている必要があります。小学生のみなさんは、どうですか。自分の良心、わかりますか? 中学生のみなさんは大丈夫かな。正直、心配な人もいます…。
 体験から学ぶことって、すごく大事です。とくに国語の文章を理解するには、体験が重要です。でも、ただ体験するだけでは足りません。その体験から「学ぶ」ことが大事なのです。つまり、体験のあと考えるのです。学力の高い人は、日ごろから考えています。うまくいったら、どこがよかったか考えます。失敗したら、何がまずかったか考え、次にどうすればいいか考えます。だから、進歩するのです。逆に、あまり考えない人は、せっかくの体験からあまり学ばないので、進歩しないのです。
 ということは、国語だけでなくどの教科も「体験と反省」が大事なのです。体験を思い出して反省することが、正しく記憶する練習になります。英語も社会も理科も、記憶が重要です。さらに、反省して考えることが、正しく考える練習になります。算数・数学に、欠かせない力です。
 かしこい人は、反省します。いい映画を見れば、いろいろと考えます。いい本を読めば、内容を理解しようと努めるだけでなく、自分の考えを深めます。これ、小学校に上がる前の子でも、できる子はできるのです!みなさんは、どうですか。やっている、と思う人は(そして実際にうまくできている人は)学力も高いはず。逆に「おもしろかったなあ」で終わらせてしまう人は、なんともったいないことでしょう。せっかくの体験を、自分なりに栄養として消化し吸収しましょう。そのためには、あとでいろいろ考えることです。それをすれば、かしこくなります。学力もぐんと上がります。本当です。ためしに、今日からでもやってみてください!

「作戦(攻撃的/守備的)」
2018年7月

 サッカーのワールドカップ、日本代表の姿に多くの人が感動を覚えたことでしょう。いろいろありましたが、世界トップレベルとの戦いに手ごたえを感じ、同時に壁の高さも思い知らされたというファンの声があります。だが日本の攻撃力は昔より格段に上がっている、という声もあり、どちらの声にも納得できます。
 攻撃と言えば、先日こんなことがありました。私は普段「連立方程式は一つ一つ検算しなさい。」と指導しているのですが、Yさん(仮名)から「定期テストで連立方程式、20問ぐらい出るらしいです。やはり一つ一つ検算したほうがいいですか?」と質問がありました。私は少し考えて言いました。「本当に20問も出るなら、時間が足りなくなるかも。でも君は100点をねらう力がある。なら、攻撃的に検算なしで行けるところまで行くほうがいいかな。そして時間が余ったら検算する。その作戦がベストだろう。ただし、検算なしの場合は、1発で正解を出すつもりで解こう。全部解いてもミスだらけでは意味がない。ねらいは100点だから。」
 まず考えたのはYさんの能力、とりわけ「ミスの確率」と「スピード能力」です。これらは日ごろの指導でほぼ把握しているつもりです。また、通知表の評定や前回の定期テストの得点なども考慮しました。それらを総合的に判断して、ベストと思える作戦をアドバイスしました。私の基本方針(連立方程式は一つ一つ検算)を曲げてでも、攻撃的なサッカー、いや違った、攻撃的なテストの戦い方を優先したのです。
 これが80点を目標にする生徒だったら、守備的な作戦をすすめます。「とれるところを確実にとりにいこう。時間が足りなくなったら応用問題を捨てる覚悟を決めておこう。」とか。このように、戦い方は「今の学力」によって変えるべきです。たとえば、ワールドカップで「グループリーグ突破」を目標にするチームと、優勝を目標にする(優勝候補とされる)チームでは、そもそも力も戦い方も違うようなものです。
 さて、結果です。なんとYさんは本当に100点をとったのです! 聞いてみると「作戦どおり、検算なしで解きました。全部解いて少し時間が余ったので、それから検算しました。途中までしかできませんでしたが。」とのこと。すばらしいYさんの戦いぶり。そして、まさに「半端ない」100点という見事な結果でした。
 さあ、次は誰の番ですか。ぜひ私にアドバイスを求めてください。本気で考えますよ。

「適性/学びの本質」
2018年6月

 ある日の数学の時間のこと。「先生、質問です。方程式って将来、使うんですか?」私は「仕事によっては、使う。」と答え、貴重な授業の時間を少しだけ使って、さらに話をします。「将来に何が必要か、わかるかい? まだわからないだろう? だから、自分に向いていることを見つけようよ。そういうことがわかる人になろう。もっともっと、かしこくなろう。そのためにも、いろいろなことを学ぶべきなんだ。」
 みなさんの可能性は無限です。何になるのか、そのために何が必要か、わかりません。だから楽しいのです。これからいろいろ学んでいくうちに、自分の適性(向いていること)が見えてくるでしょう。それを踏まえて、本当にやってみたいことと出会えたら幸運です。反対に、自分の未来が見えたら、どうでしょう。たとえば、適性がわかり、何を学ぶべきかわかるとしたら、どうでしょう? 
 実は、すでにAI(人工知能)によって遺伝情報を解析し、人が生まれ持った能力を調べる技術があります。遺伝情報から最適な学習法をアドバイスするという試みも行われています。少し時代が進めば、適性を診断し、ベストな職業を判定するシステムもできるでしょう。そのとき、「将来のために、数学は必要ありません。」と判定されたら、どう思いますか。もしかして、うれしいと思う人もいますか? でも、悲しいと思う人のほうが多いでしょう。だって、自分の可能性を限定されてしまうんですよ。
 それに、生まれつきの能力だけで人生が決まるでしょうか。そんなはずがありません。環境とか努力とか、むしろ「生まれたあと」のことが大きいはずです。だから、いろいろ学ぶのです。学んでみて、自分について知るのです。自分はどんなタイプで、何が向いているのか、AIに判定してもらうのではなく、自分でさぐるのです。それが人間らしい生き方じゃありませんか。やはり、自分の適性は自分で見きわめたいですよね。
 適性を知るポイントは、「楽しいと思えるか」「いい結果が出せるか」の2点です。ただし、食わずぎらいや努力不足の可能性もあります。いろいろなことに対して、本気でやってみましょう。
 学びの本質は自分を知ることにある、という言葉があります。いいかげんな学び方では得るものが少なく、自分の適性を知らずに人生を過ごす人も、意外と多いのかもしれません。みなさんは、どう思いますか? 

「肩書き/自分磨き」
2018年5月

 みなさんは、肩書き(かたがき)について考えたことがありますか。大人の名刺に書いてあるのが肩書きです。たとえば、会社の「部長」とか、学校の「教頭」とかです。「学級委員」とか部活の「キャプテン」とか、学校での役も、肩書きのようなものです。肩書きは、その人のことを短い言葉で伝えるのに便利です。
 一方で、その人の「人柄(ひとがら)」を伝えるのは、短い言葉では難しいものです。「まじめ」とか「優しい」とか、性格を表現する言葉はあります。しかし実際、性格とは微妙なものだし、見る人の見方によって表現は変わります。肩書きのように、だれが見てもそうだという、わかりやすいものではありません。
 たとえば、「あの人、若いけど社長だよ。」と聞けば、「すごいね。」と反応しがちです。わかりやすい肩書きだからです。でも、人柄はどうでしょう。尊敬される社長もいるし、性格の悪い社長もいます。人柄までは、つき合いがないとわかりません。同じ肩書きでも人柄は全然ちがいます。なぜでしょう。生まれつきでしょうか。それだけではありません。大切なのは、自分の中身をみがく努力を、きちんとしたかどうかです。
 ○○大臣とか○○省の事務次官とか言えば、肩書きは立派です。その肩書きを手に入れるには、ものすごい努力が必要です。その努力以上に「自分みがき」の努力が必要だろうなあと、最近つくづく思います。
 立派な肩書きをほしがる人がいます。それ自体は、問題ありません。でも、肩書きだけで満足するとしたら、どうでしょう。中身をおろそかにして、しあわせになれるでしょうか。逆に、自分の中身をみがくことに力を入れる人もいます。人に見せる肩書きの有無にかかわらず、優れた生き方だと思いませんか?
 みなさんは、どうですか。学級委員に立候補するなら、クラスを代表する「立派な自分」になる覚悟が必要です。部活の部長をやるなら、立派にやりとげる覚悟が必要です。その覚悟が、人を成長させるのです。
 塾で学力アップをめざすのも、自分みがきです。学歴という肩書きも、それを手に入れるのが目的ではなく、自分を向上させた結果としてついてくるもの。有名大学を出ても中身が伴わないなら、残念な人です。もしも将来、みなさんの中で国家公務員になる人がいるなら、肩書きや安定した生活のためだけでなく、しっかりと自分をみがいた上で、国民のために働くという強い意志を持って、なってくれたらいいなと思います。? 

「数字の見かた」
2018年4月

 「ママ、これわかる?」まなぶ君は、ママに宿題を手伝ってほしいようです。「どれどれ?」ママは勉強には自信があるので、教えてあげるつもりです。「えっと、次の資料のメジアンとモードを求めなさい…。まなぶ、これ本当に中1の数学なの?」「そうだよ。」ママは考えます。『メジアン? モード? 習ったかしら?』ママは問題のとなりのヒントを読みます。「ええと、度数分布表においてメジアンやモードは階級値で求めます…。」ママは変な汗が出てくるのを感じます。「階級値…って、ああ、頭がくらくらする。」「ママ、大丈夫?」「うん、大丈夫だけど、ちょっと教科書、持ってきて。よく読まないと教えられないかも。」
 実はこの内容、親の世代は習っていません。ゆとり教育が終わったあとで、指導要領に追加された内容です。ですから、ママはこう言えばよかったのです。「時代が違うから、すぐには教えられないわ。自分で調べなさい。それでもわからなかったら、塾で聞きなさい。」
 さて、メジアンは「中央値」とも言います。真ん中のデータということです。たとえば5人の人のテストの得点を考えるとき、真ん中の「第3位」の人の得点が中央値となります。また、モードは「最頻値」とも言います。いちばん多いデータです。たとえば75点の人がいちばん多いなら、75点が最頻値となります。
 これらは平均値と並んで重要です。たとえば「日本の1世帯あたりの平均の貯蓄額」が2000万円近くもあると聞くと、おどろきますよね。でも実際は、一部の富裕層が平均値を上げているだけです。わかりやすく言うと、33人のクラスに1人「アラブの石油王の子」がいて、その子の貯金が1億円あるとすると、クラスの貯金の平均値は、300万円以上になります。でも「このクラスすごい!」とは、なりません。すごいのは、石油王だけ。普通の子はそんな貯金、ありません。そもそも平均値を見ても、意味がないのです。この場合は、中央値を見るのが妥当です。実際、外国では「貯蓄額」は中央値を発表するのが普通です。
 数字は、見かたが大切です。国会でも「数字の見かた」が問題になったりします。中1で、数字の見かたをいろいろな角度から学ぶようになったのは、いいことです。数字の意味について、自分の頭で理解できるようになりましょう。塾としては、特に「偏差値」は正しく理解してほしいです。そのうえで、今後の学習に役立てていきたいですね。 

「楽しいという感覚」
2018年3月

 3月になりました。SGでは、新年度のスタートです。新学年は、どんな内容なのか。わくわくしませんか。たとえば4月に学校で新しい教科書をもらったとき、みなさんはどうしますか。待ちきれなくて先のほうまで読んでしまう人もいるでしょう。私も子どものころ、そうでした。
 特に小学生は、わかりやすい内容ですから、学習が楽しいと感じる人も多いはず。それは、大切なことです。好きなことって、どんどん頭に入るでしょう? スポーツとか、音楽とか、アニメとか、なんでもそうです。自分の好きなことは、どんどん吸収したくなるでしょう?
 学習についても、「楽しいという感覚」があるなら、どんどんできるようになります。多くの小・中学生が、そうであってほしいです。
 サラブレッドでも、そうみたいです。競走馬というのは、走るために生まれた動物です。もともと走るのが好きなのです。しかし、ムチは痛いものです。レースでムチを入れると、馬は「つらい」と感じてしまいます。レースがイヤになってしまいます。だから、期待する馬がデビューするときは、なるべくムチを使わないそうです。走りたいという、前向きな気持ちを大切にするわけです。勉強も、似たところがあります。
 私自身、親に「勉強しなさい」と言われたことは、一度もありません。以前にこのコラムで書きましたが、私の母は家事のしかたにはものすごく厳しかったのです。でも、勉強のことは何も言いませんでした。これが私の場合は良かったのだと思います。家事の手伝いを通じて「自分なりにやった」ではダメだということを、厳しく叩き込まれました。でも、勉強に関しては「自由」でした。だから勉強は、自由で楽しいものでした。
 応用問題を解くときの、まるで意識が空間を自由に飛びまわるような解放感。調べるときの、まるで洞窟を探検しているような期待感。覚えるときの、まるでコレクションをコンプリートするような達成感。勉強は、楽しさに満ち満ちています。しかも、自分の学力レベルが上がるのです! ゲームのキャラのレベルではなく、現実の自分自身のレベルです。将来にプラスになることを「楽しむ」って、最高じゃありませんか? 

「がんばれNG?」
2018年2月

 先日、なんとなくテレビを見ていると、「受験生にかける言葉」という特集をしていました。アンケートによると、かけてほしい言葉の1位は「大丈夫」でした。そして、かけてほしくない言葉の1位は、なんと「がんばれ」でした。このアンケート、母集団の数や信憑性(しんぴょうせい)は不明ですが、もし「がんばれNG」と思う人が本当に多いなら、残念なことです。
 私自身は「がんばれ」に力をもらった経験が何度もあります。特に印象に残っているのは、陸上部のときのことです。確か地区予選で、種目は1500mでした。私は最初の予選を楽に勝ち抜くことができ、調子がいいなと思っていました。しかし、次の決勝では、残り400mで苦しくなりました。このままのペースで走りきれるか、不安でした。ちょうどそのとき、友人から「がんばれ!」と声援を受けたのです。「ここからだぞ!」その声に力をもらい、本当に苦しかったのですが、がんばって走りきることができました。自己ベストも、大幅に更新できました。たいした記録ではありませんが、私はとても嬉しかったし、友人にもすごく感謝しました。声援に心から感謝した、初めての経験です。まあ、私が単純なだけかもしれませんけど。でも、今もその友人とは、ときどき会って話をするのです。
 このほかにも、私は「がんばれ」という言葉から、何度も力をもらいました。ですから「がんばれNG」と思う人がいると聞くと、残念に思います。「がんばれ」は応援です。それを力にできれば、自分も相手も嬉しいでしょう?
 いろいろなことを自分にプラスにできれば、どんどん自分が成長します。親や教師のきつい言葉をしっかり受け止めて、自分を成長させる人もいます。クラスメートの悪口さえ、自分の成長に役立てる人もいます。応援の言葉をプラスに思えないのは、うつ病など病気の人はともかく、健康な人なら問題です。
 そもそも「その言葉はやめて」と言うのは、相手に変化を求め、自分は変化しない態度です。こういう人は自分に変化がないので、進歩しません。進歩する人は「その言葉を、どう自分は受け止めようか」などと考えます。自分の中に小さな変化を起こすので、自分が成長するのです。そういうこともふくめ「受験生諸君、がんばれ」と、声を大にして言いたいです。受験だけでなく、人として成長してほしいという気持ちをこめて。
 みなさんは、どうですか。人の言葉を自分の力にできますか。いろいろな言葉を力にして、成長できる人になりたいと思いませんか。それとも、もう、なっていますか? 

「忠実/堅固な意思」
2018年1月

 新年、おめでとうございます。今年は「いぬ年」です。犬は、人間と強い絆で結ばれる動物です。特に有名なのは、忠犬ハチ公。多くの本が出ていますし、映画にもなっていますので、ご存知ですよね。主人の帰りを信じてひたすら待ち続ける姿は、「忠実」そして「堅固な意思」の象徴と言えます。
 こんなエピソードがあります。ある生徒が計算ミスをしました。私は「よく見てごらん。自分で書いた6を、0と見まちがえているだろう。もっとていねいに書くといいよ。」とアドバイスしました。彼は「しまった。」と、反省している様子でした。しばらくして見ると、なんと「6666666…」「0000000…」と自主的に何度も書いて練習しているではありませんか。私は「その姿勢があれば、必ず伸びるよ。」と言いました。
 次の定期テストで、彼の数学の得点は32点アップ。さらにその次で19点アップ。わずかな期間で51点も上がりました。最初が低すぎたとも言えるのですが、ついに立派な結果を出すまでになりました。
 だから教師のアドバイスに忠実に、なんてヤボなことは言いません。ただ、もし君自身が『このアドバイスは自分の役に立つ』と感じたなら、その感じ方に忠実であってほしいのです。そして「できるようになる」という、堅固な意思を持って行動してほしいのです。そうすれば、必ず結果はついてきます。必ず、です。
 指示されたことを「なんとなく」こなすだけでは伸びません。犬でさえ、主人に振り向いてほしいときなど、自分で考え、工夫し、一生けんめい努力します。まして人間はもっとできるはず。今ぐんぐん伸びている人は、さらに上をめざしましょう。少し伸び悩んでいるという人、今年は変わりましょう。
 犬にとって、ご主人は人間です。君たちにとって、ご主人は誰でしょう。親ですか。教師ですか。ちがいます。自分をコントロールするのは、自分です。ご主人は自分です。その自分が未熟だと思うなら、成長させましょう。小・中学生にとっては自分の成長が第一です。堅固な意思を持って進歩していきましょう。
 かく言う私自身も、成長の途上です。何歳になってもそうだと思います、2018年は「忠実/堅固な意思」をテーマとし、みなさんの成長を第一に考え、指導力を向上させていくつもりです。

「愛情/インパクト」
2017年12月

 先日、道で叫んでしまいました。信号のない交差点でのことです。右から来たワゴン車が右折し、正面からはバイクがこちらに向かって来ていました。そのとき左から男の子が飛び出したのです。バイクからは、右折車のかげになって男の子が見えません。男の子がひかれる。見ていた私は「あぶない!」と叫びました。するとバイクは急ブレーキをかけ、男の子の目の前で止まりました。男の子は小学校の低学年でしょう。しばし立ちすくんでいました。事故にならなくて、私は内心ほっとしました。バイクのお兄さんは無言で去っていきました。男の子も走って行ってしまいました。私は『男の子に注意してあげてほしかったなあ。』と思いました。
 これが昭和の時代なら「気をつけろ、このガキ!」ぐらい言ったものです。今の時代だと、「このガキ!」はインパクトが強すぎるかもしれません。中には『知らない人にそんなこと言われたら、泣いちゃう。』という人もいるでしょう。でもこれ、実は愛情のある言葉です。たとえば「交差点をわたるとき、気をつけるんだよ。君はまだ子どもなんだから。」と言いかえれば、おだやかな表現にはなります。しかしインパクトに欠けます。この「気をつけるんだよ、君は子どもだから。」を短く強くした言葉が「気をつけろ、このガキ!」です。このほうが心に残ります。そう考えると、この言葉には愛があると思いませんか? 少なくとも無言よりは。
 私も、愛のある叱り方を心がけています。先月の補習のとき、数学で円周率のπをつけ忘れた生徒がいたので、「気をつけなさい。」と言いました。2時間目も忘れたので「本当に気をつけないと。」と強めに言いました。5時間目も忘れたので、「君にはインパクトが必要だな。」と言い、「憎まれることを覚悟の上で言うぞ。この、パイ忘れ野郎!」と言いました。彼は喜んでくれたので「さかうらみ」はないと思います。
 少し叱っただけで塾に来られなくなる生徒もいるので、叱るとき「君のため」という気持ちを表現するよう気をつけています。ただし、明らかにダメな態度で、かつ優しく言っても効かないとき、私は鬼のように叱ることがあります。それこそ泣くまでです。心に届けという思いからです。ひかれそうな子に「あぶない!」と叫ぶときの思いです。まあ、めったにないことですが。
 今年もあとわずか。来年も、ここぞというときに「愛情とインパクト」のある接し方を心がけます。

「勉強の珍プレー・好プレー」
2017年11月

 11月になりました。そろそろ晩秋です。スポーツの秋ということで、今回のお題は珍プレー・好プレー。珍プレーは、主に練習不足や集中力不足によるもの。好プレーは、十分な練習と高い集中力、さらにはひらめきの成せるわざと言えます。実はこの珍プレー・好プレー、スポーツだけでなく勉強にもあるのです。
 珍プレーでよく見るのは、算数で「たかしさんの身長を求めなさい」の答え「5m」というもの。いやいや、5mって! 巨人じゃないんだから! いくら「たかし」さんでも高すぎるでしょ!
 この例は答えの「吟味(ぎんみ)不足」のパターンです。ほかにも「うろおぼえ」の珍解答や「見まちがい・書きまちがい」の珍解答などがあります。
 特筆すべきは「ワープ系」と言えるミスで、たとえば「x=6のとき、yの値を求めなさい。」という問題。正解は「y=4」なのに、ある生徒の答え「雑食動物」…って、ええっ!?
 
私の受けた衝撃たるや表現不能です。どういうことか本人に聞いてみると「今日それ学校で習ったんです。」と言います。つまり学校で学んだ雑食動物という言葉を、全く関係ない問題で「ついうっかり書いちゃった」とのこと。まじめな生徒だし、成績も上位(!)なのですが、もともと天然と言われているタイプ。それにしても、学校の時間から塾の時間へ、しかも別の教科に「とぶ」なんて、まさに時空を超えた「ワープ」です。
 後日談があります。この子が後に「あのコラム、私ですよね?」と言いに来ました。私が「ごめんごめん。」と謝ると「母が『これ絶対あんたでしょ。』って。二人で笑っちゃいました。」と笑顔で言うのです。さすがお母さん、我が子を知り尽くしていますね。
 一方、好プレーは主に各自の頭の中で起こります。
 たとえば小学生が「25×9」を「225」と即答する場合です。どうやったか聞くと、ある生徒は「25の10個ぶんから、25を1個ひきました。」と言います。別の生徒は、「25は4個で100、8個で200だから、9個で225です。」と言います。このように、ひっ算でなく「くふう」するのは、好プレーです。
 また、紙の上に工夫が表れることもあります。解き方の工夫だけでなく、ミス対策などの独自の工夫など、みごとな好プレーがあるのです。考えて工夫することが、好プレーにつながります。
 スポーツの好プレーは、練習でも本番でも見ている人にアピールできるので、本人は気持ちいいものです。一方、勉強の好プレーは地味です。だれの拍手もありません。それを見つけた教師がほめる程度です。しかし、学力の高い人は練習でも本番(のテスト)でも、好プレーを連発します。拍手がなくてもそれができるのです。これって、実は大事なこと。だれも見ていなくても努力できる人は、それだけで立派な人です。こういう人は自分の頭で考えて工夫するから、必ず進歩します。小・中学レベルの学習であれば、結果にも表れます。
 珍解答は印象が悪く評価が下がるので要注意。好プレーは結果も出るし高く評価されるし、いいことばかり。もっとうまいやり方はないか、つねに考えましょう。それが成長の秘訣です。勉強だけでなく、人としても。

「さがしべた/心の盲点」
2017年9月

 「ない。ここにもない。」
ママがリビングで、さがしものをしています。
「おーいママ、早く行こうよ。」
パパが来て声をかけます。どうやらお出かけ前のようです。
「ちょっと待って。」
「どうしたんだい。もう子どもたち、車で待ってるぞ。」
「おサイフがないの。」
「ふうん。このバッグじゃないの?」
パパはテーブルの上のバッグを指差します。
「そこじゃないわ。そこに入れようとして…。」
ママは否定しますが、パパは中を見ます。
「ほら、あった。やっぱりここだ。」
「あっ!」
ママはびっくりです。
「あ、そうだった、私ゆうべ入れておいたんだわ。」
ママは悲しくなりました。
『すっかり忘れてた。私ってあいかわらずドジだ…はぁ。』
するとパパが
「ははは、そこがママの魅力だよ。」
と優しく微笑みます。ママは
「そっか。そうだよね。うん。じゃ、行こうか。」
と、笑顔がもどって来ました。この家庭は、パパがうまく回しているようです。
 さて、ものをさがすとき、すぐに見つける人がいます。「さがし上手」と言えます。こういう人は、直感的にすばやく正しい場所を見つけます。反対に、なかなか見つけられない人もいます。「さがしべた」と言えます。こういう人は、『ここにあるはずがない』と決めつける傾向があります。そこを見ないから見つからないのです。この決めつけこそ、「心の盲点」です。自分で自分の心をブロックして、盲点を作ってしまうのです。
 先月の末、塾で「学力テスト」を実施しました。みなさん、きちんと見直しをしていましたね。それでも、自分のミスを見落とす人がいます。ミスを見つけられないのは、「さがしべた」です。こういう人も思い込みで、これとこれは合っているはず、などと決めつけてしまい、ミスが見つかりません。もったいないことです。
 ミスへの対応には、2つのポイントがあります。1つめは「ミスの回避」で、2つめは「ミスの発見」です。ミスの回避とは、そもそもミスをしないこと。集中力と工夫(テクニック)でミスを回避しましょう。それでも人間はミスをします。発見して修正しておきたいところですね。テストで余った時間はフルに使いましょう。重要なことは、「心の盲点」を消し去ることです。さがし上手な人は、自分の「ミスの傾向」をつかんでいます。だから盲点を作らず、要領よくミスを発見できるのです。自分の個性をつかんでいて心の盲点が少ない人は、勉強だけでなく、日常生活も人間関係も上手です。大事なことですよね。みなさんは、どう思いますか?

「ぐんと伸びる可能性」 
2017年8月

 8月になりました。しかし、7月末から8月の初めにかけて晴れの日が少なく、意外なほど涼しい日もあり、夏らしくありません。「夏本番はこれから」でしょうか。みなさんは、8月にどんな予定がありますか?
 受験生でない人は、夏にいろいろやってみましょう。思わぬ発見や、いい出会いがあれば、ぐんと成長することができるかもしれません。部活が忙しいという人も合宿や大会などがあれば、本気で取り組みましょう。いい刺激になるはずです。塾にとっては、みなさんの「心のエネルギー」に関心があります。学力アップには、それが欠かせません。意欲的に学習に取り組むためにも、どんどんプラスの経験を積んでください。
 ちなみに個人的なことで恐縮ですが、私は中2の夏休みにぐんと伸びました。学力…ではなく身長が、です。ひと夏で20cmも伸びたのです。中2の1学期は前から3番目でしたが、2学期は後ろから2番目になりました。制服も着られなくなりました。自分でもびっくりしました。
 何事にも「ぐんと伸びる可能性」があります。身長だけでなく学力もそうです。おそらくスポーツや芸術もそうでしょう。何かのきっかけで「ぐーん」と伸びる人は、いるのです。だれにでも可能性があります。何かのきっかけと言っても、たぶんいろいろな要素があるはずです。絶対にこれがいい、ということは言えません。そんなものがあったら、みんなとっくにやっていますよね。だから、いろいろやってみてほしいのです。
 もちろん、こつこつと努力を重ねて少しずつ伸びる人もいます。「きっかけ要らず」ですね。また、最初からすごい才能を発揮する人もいます。ただし、才能があっても努力が足りないと「ウサギとカメ」のウサギのようになります。最終的には、がんばったカメが勝つのです。これは実際そうです。
 さて受験生にとって、夏は絶好のチャンスです。学力をぐんと伸ばすべく、気合を入れて努力しましょう。ポイントは自己管理です。自分の長所と短所を見きわめ、長所を伸ばしましょう。短所についてはよく考えて、自分に厳しく、補うべきところを補いましょう。そういう自己管理ができれば、必ず伸びます。
 私は、ぐんと伸びる人をたくさん見てきました。心のエネルギーに満ちあふれ、自己管理もできる人は必ず伸びます。みんな、そういう人になりましょう。「学力アップ本番はこれから」です。がんばりましょう! 

「トラブルと問題解決能力」
2017年6月

 みなさんは、小さいときのことを覚えていますか。楽しかったことや、悲しかったことなど、いろいろあるはずです。友だちとのトラブル(けんかや、意見の衝突など)も、多少なりともありましたよね? 
 小さいときは、だれかをうらんだり、きらいになったりすることもあるでしょう。でも、それは立派な人の抱く感情ではないと、気づくはずです。立派な人は、されたことを根に持ったり、うらんだりしません。逆に、ダメな人は、トラブルを人のせいにして、うらみます。そういう人を見ると、小さい子でも『かっこ悪い。』と感じるものです。そして、『自分は、ああなりたくない。』と思うものです。
 少し成長すると、家族や友人とトラブルになったあとで『さっきの自分、かっこ悪かったかな?』と反省するようになります。みなさんは、どうですか。相手のことばかり悪く見えるのは、幼い人です。自分の言動を反省する人は、少し大人です。だれかのせいにする人は、進歩しません。自分を向上させる意志のある人が、進歩します。こんな言葉があります。「傷ついた痛みより、傷つけた痛みを感じなさい。」わかりますか? 
 さらに成長すると、イヤな感情はさっさと整理して、前向きに考えるべきだと気づきます。まあ現実には、なかなか上手にできないものです。でも、トラブルを完全に避けて生きるのは、まず無理です。それならば、ネガティヴな感情の解消のしかたを考え、トラブルから何かを学び、生かすことが大切です。
 中学生には『トラブルについて反省すると、自分のダメな面が見えてきてイヤになる。』という人も多いはず。でも実は、それが大事。自分の個性がわかるからです。どう自分と向き合い、自分の弱点をフォローするか。それが上手にできれば、人として大きく成長できます。必要なのは、問題解決能力です。
 人生の「問題」と比べると、国語や算数の「問題」は簡単です。しかもトラブルのように感情的にならず、落ち着いて解くことができ、問題解決の練習にもなります。問題の本質をつかみ、情報を整理して、よく考え、答えを導き出す練習です。しっかり練習を積み、問題解決能力を身につけましょう。高い問題解決能力を身につけた人にとって、多少のトラブルは、さらなる成長のチャンスです。

「想像することは、できる」
2017年5月

 先日、道を歩いていたときのことです。私の前を、小学生らしい女子二人が、話しながら歩いていました。その会話が、耳に入りました。「○○ちゃんって、人の気持ち、わかんないよね。」「うん。でもさあ、そもそも人の気持ちって、わかんなくない? 想像することは、できるけど…」「え?…うん、そっか。そうだよね。」
 私は感心しました。「人の気持ちがわかる」と「人の気持ちを想像する」を、区別できるんだ、と思いました。塾の生徒だったら「すばらしい!」と、ほめるところです。
 みなさんは「想像することは、できる」という言葉の意味が、わかりますか? 私なら次のように「想像」します。あの子は、人の気持ちを想像してみて、当たるときも、はずれるときもあるという経験をしたのです。あるいは、微妙なニュアンスがズレていたという経験まであるかもしれません。それを敏感に感じとり、反省して、自分の考えを深めたのです。あくまで私の想像ですが、そういう子は、人間的に進歩します。
 そして、もう一人の子も、進歩するでしょう。「え?…うん、そっか。」という言葉の間(ま)から感じました。一度は相手の言葉を疑問に思い、自分なりに考え、理解し、同意したのです。これも、すばらしい。ときどき電車の中で「だよね、でさ、話かわるけどうちね、…」と、口先だけ同意して明らかに相手の話を聞かず、全く関係のない話を始める人を見ます。まあそれはそれで「その程度の会話」「そういう関係性」なのでしょう。
 ただ、大きくなっても自己中心的な人は、周囲に迷惑だし、本人が幸せになれるか疑問です。みなさんは、どうですか。人の気持ちを想像するよう、心がけていますか。
 大切なのは、想像力です。私は、想像力こそ「学ぶ力」の根幹だと考えています。単純に記憶するだけの表面的な学習は、まだ学習と言えません。想像力を使って深く理解し正しく考えることが、学習の本質です。
 表面的な学習で成績を上げ、それなりの学歴を手に入れたとしても、想像力の足りない人は、残念な人です。
 学ぶ力は、人間として成長するため、そして人生を深めるための「手段」です。そう考えるべきです。
 私の言いたいこと、わかってもらえますか。えっ?「想像することは、できる」ですって?

「ほどよい負荷」
2017年4月

 4月です。暖かい日が多くなりました。私はよくジョギングをするのですが、本当にいい時期です。日ざしが明るくやわらかで、空気もさわやか。木々、草花、鳥や虫、そして春の独特なにおい、すべてが生き生きとして、活力に満ちています。もちろん私たち人間も、元気に活動できる季節です。
 さて突然ですが、みなさんは「67×48」という計算、暗算でできますか。筆算でなくインド式でもなく、普通の暗算で。「67×8=536」で「67×4=268」なので、「536+2680=3216」となり、正解は3216です。頭の中でやるのです。どう思いますか。「めんどくさい」「頭が疲れそう」「筆算のほうがいい」などという意見は、ごもっともです。筆算のほうがラクだし正確です。しかし、これを暗算でやる生徒がいました。A君という生徒です。ほぼ正解で、びっくりしました。普通の教師なら「ていねいに筆算しなさい」と指導するところです。しかし私は、あえて黙認しました。『脳にいい負荷がかかる。』と思ったからです。
 人間の肉体にほどよい負荷をかけると、能力が上がることがあります。疲労から回復するとき、以前よりも能力が上がるのです。これを超回復といいます。筋トレをすれば、筋力が上がります。走る・泳ぐなどの全身運動をすれば、心肺機能が上がります。さらに、一流アスリートなどに「より強い負荷」をかける方法として、空気の薄いところで練習する「高地トレーニング」などは有名です。負荷が能力を高めるのです。
 脳も同じです。ほどよい負荷をかけると、能力が上がります。賢くなるのです。「頭のよさ」は努力によって変わるのです。先ほどのA君の例では、複雑な暗算によって「より強い負荷」がかかるので、短期記憶の能力が上がります。もっとも、受験の半年前から筆算に切り替えさせました。正確さを優先すべき時期だからです。能力を上げる時期と、結果を優先する時期とで、指示を変えたのです。受験の結果は、合格でした。
 さてみなさん、自分に「ほどよい負荷をかけよう」って、考えたこと、ありますか。言われてやるよりも、自覚を持って自主的にやったほうが、より効果的です。ちなみに私自身も、ジョギングの途中でダッシュすることがあります。調子のいいとき自分に負荷をかけるのは、進歩するためのチャンス。そう思いませんか。

「バランス」
2017年2月

 2月になりました。高校の一般入試まであとわずか。受験生諸君にとって、残された時間の使い方が合否のカギをにぎります。では、どう使うか。おすすめは、弱点の克服です。
 中3の諸君には言いましたが、改めて書きます。入試で最強なのは「万能型」です。内申はオール5で五科の実力がすべて非常に高い人。まさに最強。無敵です。しかし、そういう人になるのは、とても難しいものです。
 それなら「バランス型」はどうでしょう。大きな弱点がなく、どの教科も志望校に合格できる力がある人のことです。強みは、難易度の格差に左右されにくいことです。
 SGでは、中3は過去10年程度の入試問題を解きます。解いていると、「あれ? この年の数学は簡単だぞ。」とか、「この年の国語は難しいなあ。」とか、年によって難易度にムラがあることに気づきますよね。
 バランス型の人は、このムラに強いのです。逆に一芸タイプの人、つまり得意教科に頼る人は、このムラに弱いのです。「この科目で差をつける」と思っていても、その科目が簡単な年だった場合、他の受験生もできるので、差がつかないのです。また、中途半端な得意教科だと、すごく難しい年だった場合には自分もできないので、やはり差がつきません。一教科に頼らずバランスよくできる人なら、そういうことになりません。
 ですから受験生諸君、残された時間で「弱点の克服」に努めましょう。なるべくバランスよくできるようになるのをおすすめします。苦手教科が2つあるなら、せめて1つに減らしましょう。同じ教科の中でも苦手な分野があるなら、がんばって乗り越えましょう。特に知識面については、努力すれば必ず身につくはずです。とにかく、一つ一つ弱点を克服しましょう。それが成功への近道です! 
 受験生でない人も、考えてみてください。理想は万能型。それをめざすにしても、まずはバランスよく学ぶことを心がけるべきです。好きな教科ばかりでなく、苦手な教科があれば克服に努めましょう。それは言わば、自分を整える努力です。自分の弱点を少なくし、かたよりを調整するのです。それは勉強だけでなく、精神面についても大事なことです。こういう努力は、人生を通じて大切なことだと思いませんか。

「羽ばたく勇気」
2017年1月

 新年、おめでとうございます。今年は「とり年」ですね。ひよこは成長すると、にわとりになります。その姿は大きく変わります。他の鳥も、同様です。多くの鳥で、ヒナの成長は早く、成長すると空を飛べるようになります。野生の鳥にとって、翼(つばさ)と「飛ぶ能力」は、生きるために必要なものです。
 人間はどうでしょう。成長すると肉体的にも変わりますが、大きく変わるのは、頭と心です。人の成長とは、知識が増え、考えが深まり、心が「強く、広く、かつ繊細に」なることではないでしょうか。立派な人に成長するには、立派な「頭と心」が必要です。それは、人間らしく生きるために必要なものです。
 つまり、人にとっての「頭と心」は、鳥にとっての「翼」だと言えます。鳥が生きるためには一人前の翼が、できれば立派な翼があるといい。人間も、せめて一人前の、できれば立派な「頭と心」があるといいですよね。手に入れましょう。そのためには、いろいろなことを、まっとうに一生けんめいやってみることが大切です。
 では、何をやるか。頭については、勉強だけでなく、本を読むことや日記を書くことなど、とにかく頭を使うことがおすすめです。心については、「つらいこと」「不安になること」「めんどうなこと」「ややこしいこと」がよろしい。考えてみてください。ラクなことや楽しいことばかりしていて、人の心は成長するでしょうか。
 鳥が初めて飛ぶときは、勇気をふりしぼって飛び立つのでしょう。こわいはずです。しかも自然界は敵だらけです。生きのびるのは大変です。でも、困難を乗り越えて、そして一人前になるのです。
 人間も同じです。たとえば、「かわいい子には旅をさせろ」という言葉があります。親の手をはなれ、一人で苦労しながらいろいろな体験をすることが、ものすごくプラスになるのです。
 受験は、まさにそれです。試験会場では、だれも助けてくれません。事前にアドバイスはもらえますが、本番は一人で戦うしかないのです。でも、乗り越えましょう。みなさんには、無限の未来という大空が待っています。自分の翼を信じて、力強く羽ばたきましょう。
 みなさん全員が、羽ばたく勇気を持って、立派な「頭と心」を手に入れてくれることを願います。

「賭け/結果はともかく」
2016年12月

 12月になりました。受験生にとって、冬は自分に力をつける最後の大きなチャンスです。冬を利用して、限界まで自分の力を高めましょう。大切なのは、自分を信じて本気で努力することです。
 ネガティヴなことを考えてしまう人もいるかもしれません。『がんばっても、受かる保証なんてないし…』と思う人は、考えてみてください。そんな保証、あるわけないんです! みんなそうです。でも、がんばるんです。当然のことです。むしろ、保証があったら人は成長しないんです。「あなたは、確実に希望の進路に進めます。将来も、やりたい仕事が自由にできます。」そんな魔法があったら、本気で努力しますか?
 努力した結果は、どうなるかわからない。だからこそ、人は努力するんです。もちろん、いい結果を望んで、がんばるんです。でも、うまくいく保証はない。「賭け(かけ)」です。
 みなさんは、友達とお菓子などを賭けて遊んだことがありませんか。何かの順番を賭けてジャンケンをしたことは、あるでしょう? それは、ちょっとした「賭け」です。
 同じように、受験も賭けです。というより、人生は賭けの連続です。小さい賭けも、大きい賭けもあります。みなさんの多くは、受験、就職、結婚といった「人生を左右する決断」を、いずれするでしょう。そのときは、勇気を持ってベストを尽くす覚悟が必要です。受験は、その第一歩とも言えます。賭けるのは自分の進路です。合格か不合格か、賭けるのです。勝つには、1に努力、2にも努力です。3に、無理のない受験プランです。無謀な受験をしないことが大切です。(もっとも、公立中学の受験は倍率が高すぎるので、受験すること自体がギャンブルです。ベストを尽くした上で、運が自分に味方することを祈りましょう。)
 私の経験から言わせていただくと、「自分はダメかも」と思う人は、たいていダメです。「絶対うまくいく!」と自分に言い聞かせる人も、危険です。その思考に、無理があります。「結果はともかく、ベストを尽くす。」おすすめは、これです。結果のことばかり考えるのではなく、努力に専念することです。
 受験生でない人も、参考にしてください。試練のときは、いずれ来ます。試練と真剣に向き合えば、ぐんと強くなることができます。そのときのために、今から心の準備をしておきましょう。

「秋の壁」
2016年10月

 10月です。秋ですね。読書の秋と言いますが、涼しくなると頭もよく働きます。学習には最適な季節です。集中して取り組み、各自に力をつけていきましょう。
 秋と言えば、学習内容がぐんと難しくなります。そういうカリキュラムになっているのです。学習にいい季節だからレベルを上げて、能力(理解力や思考力)を高めようということでしょうか。だから、ぐんと難しくなるのです。でも、くじけてはいけません。がんばっていきましょう。
 特に小5と中2は学習のレベルが2段階ぐらい上がります。私は「小5秋のカベ」「中2秋のカベ」と呼んでいます。もっとも、それまでにしっかり基礎をつくっている人は、歯ごたえを感じる程度です。そうでない人は、高いカベだと思うかもしれません。でも、がんばって乗り越えましょう。そうすれば、理解力や思考力が確実に上がります。この二十数年、多くの人が乗り越えるのを見てきました。
 小5・中2の人は、気合を入れて「よしやるぞ!」という気持ちで向かっていってください。乗り越えれば頭がよくなります。つまり、能力が上がるのです。
 小4・小6・中1の人は、次のカベに備えて能力を上げておくべき時期です。いろいろな能力が必要ですが、中でも、理解力と思考力が重要です。ポイントは読書。本を読めば読むほど、理解力が上がります。
 中3は、秋とは関係なく「ずっとカベ」です。高校受験があるので、多くの人が本気で受験勉強に取り組んでいます。しっかり努力して、志望校への合格を目ざしましょう。合格と不合格では、天と地ほどの差があります。実にシビアです。でも、しっかり力をつけて、その力に合った志望校を選べば、大丈夫。きっとうまくいくでしょう。よく状況を見て、背伸びしすぎず、楽をしすぎず、きちんと努力しましょう。今は高いカベに見えても、やるべきことをやっていれば、乗り越えられるものです。
 「カベ? おもしろい。乗り越えてやる!」というガッツを持ちましょう。大人になるまでに、大変なことは山ほどあります。大人になったらなおさらです。学習の「カベ」ごとき、軽く乗り越えましょう。そのたびに、君たちはどんどん強く、たくましくなります。本当です。だから、がんばって乗り越えてください!

「オトナな人の時間」
2016年8月

 8月になりました。受験生にとっては勝負の夏です。この夏を充実させましょう。ムダにしていい時間などありません。つねに「今、何をするべきか」を自分に問いかけつつ、時間を有意義に使いましょう。
 時間を上手に使えるのは、精神的に「オトナ(大人)な人」です。計画性があって、かつ「今はこれをするべきだ」と、理性的に考えて行動する人です。反対に「幼い人」は時間の使い方にムダが多いのです。
 では、どうすれば時間を上手に使えるか。まず長期的な視野に立ってに考えること。ふだんからその習慣をつけましょう。次に、短期的な目標を立て、それに集中すること。もし計画を変えるなら、熟慮すること。一時的な気分とか思いつきで計画を変えないこと。強い意志を持ち、着実に計画を実行すること。これらを心がけてみましょう。
 受験勉強に関しては、基本的に塾のメニューを信じてください。休まずきちんと授業を受け、身につけようという気持ちで宿題を真剣にやれば、結果は必ずついてきます。ただし、個人差はあります。個人個人で「理解の足りないところ」について考え、しっかり復習しましょう。学校の宿題や、自分なりの勉強については、各自が塾とうまく両立させてください。ポイントは計画性です。
 気分転換も上手にやりましょう。今の状況でどれだけ時間を使えるか、何が効果的か、よく考えましょう。目標に向かって、コンディションを整えるためです。そのために、現状をきちんと把握しましょう。目標達成までの道のりを思い描いて、しっかり努力しましょう。
 さて、受験生でないみなさんは、この夏、ちょっと「大人な人」に近づいてほしいと思います。できれば、中3になるまでに「大人な人」になっていてほしいです。幼い受験生は苦労しますよ。本人も、周囲も。
 そのためのおすすめが、いくつかあります。第一は、「困難を乗り越えること」です。これは環境次第ですし、つらいことです。でも、必ず成長します。スポーツか何かで責任ある立場にいる人は、幸運です。苦しくても試練に立ち向かい、乗り越えましょう。将来、驚くほど自分にプラスになっているはずです。
 第二は、いい小説やいい映画。第三は、尊敬できる人の自伝。つまり、立派な人の態度や考え方を理解し、吸収することです。これらは環境によらず、だれでもできます。
 ちょっと背伸びして、いいものに触れてみてはいかがでしょう。そうした出会いは、一歩「大人な人」へと踏み出すきっかけになるものです。

[バリア/応用力」
2016年7月

 SGでは、夏期講習会の締めくくりとして、8月下旬に学力テストをします。進研テストという業者テストです。テスト範囲が広く、応用問題も多く出ます。中3の問題などは、定期テストより入試問題に近いと言えます。難しいと感じる人もいるでしょう。力を高めるには、うってつけです。
 さて、塾では「学力テスト対策」を行うことがあります。過去の問題を解いてみるのです。範囲が広いので、人によっては「うろ覚え」な分野もあるでしょう。この機会に正しく身につけ直しましょう。応用問題もがんばって解いて、応用力を磨きましょう。
 応用力といえば、中3諸君の学力テスト対策をしていたときのことです。数学の問題は、やはり応用問題に多くの人が苦戦するものです。しかし文章題の中に、1つ簡単な問題がありました。かけ算1回で正解が出る問題です。『みんなできるだろう』と思って見回ると、びっくりです。ほとんどの人がそれに手をつけず、次に進んでいたのです。その問題は、文章がやや複雑で、表もあって、一見ややこしく思えるものでした。
 私は、ホワイトボードにその表を書き、わずかなヒントを出しました。すると、ほどなく全員が正しく解けたのです。「わかってしまえば、簡単な問題だろう?」一人一人に聞くと、みんな「はい」と答えます。
 私はみんなに言いました。「バリアだ。この問題をとばしちゃった人は、自分の心にバリアをはっていたんだ。できないと決めつけて、自分で限界をつくってしまったんだ。ホントは、できるのに。」生徒諸君は、『確かにそうだ』という表情で聞いてくれます。私は続けました。「この問題を、とばさずに解いた人もいたね。その人は、変なバリアなんか、はらない人だ。自分を信じて、できると思って、問題に取り組んだ人だ。」
 私は話を続けました。「いいかい、応用問題ができる人は、最初からできるわけじゃない。バリアをはらず、真剣に問題に向かっていく人が、それをくり返すうちに、高い応用力を手に入れるんだ。だからさ、無理だと決めつけないで、よく問題を読んで、本気で考えてみよう!」
 日常生活でも、いろいろなことを無理と決めつけて、自分の可能性をせまくしてしまう人がいると思います。もったいないことです。逆に、日々の様々な問題に対して本気で取り組む人は、問題解決能力が高まるのです。その能力は、一生の財産になります。そういう能力って、テスト以上に大切だと思いませんか。

「きびしい第三者の目」
2016年6月

 保育園の帰り。ゆみちゃんはママに今日のことを報告します。
「あのね、えりちゃんがうちのこと、バカって言ったんだよ。ひどいよね。」
するとママは
「ゆみは、そう言われるようなこと、しなかったの?」
とたずねます。ゆみちゃんは
「してない!うち、何もしてないよ。」
と言います。ママは
「そうかなあ?」
と、疑いのまなざしです。ゆみちゃんはショックを受けます。
『信じてくれない…ママは、いつも味方だったのに。』
 人は、無意識に他人を傷つけることがあります。ママはそれがわかっていて、ゆみちゃんに気づいてほしいから、あえて考えさせるような言い方をしたのです。
 さて、ゆみちゃんは今日のえりちゃんとのやりとりを思い出してみます。自分が何をしたか、何を言ったか、一つ一つ思い出して、
「あ!」
と声をあげます。
「うち、やっぱり、えりちゃんに、ひどいこと言っちゃった。」
どうやら、思い当たることがあったようです。ママは
「そうなの。じゃ、ゆみ、明日どうしようか?」
とたずねます。
「うち、えりちゃんに、あやまるよ。」
するとママは笑顔になって、
「そうだね。それがいいね。」
と言います。
 ゆみちゃんは「第三者の目で自分を見る」ことに成功したのです。自分の目線でなく、相手の目線でもなく、第三の人が見ているように、自分の言動を思い返したのです。そしてひとつ成長しました。幼い人の特徴は、自己中心性です。どうしても自分の目線で物事を見てしまいがちです。そこから一歩、大人に近づくためには、想像力が必要です。まるで第三者がそこにいて、外から自分を見るような想像力です。
 このお話は、つくり話です。現実には、なかなかこうはいきません。ただ、かしこいママは、わが子の話をうのみにしません。逆に、「あんたが悪いんでしょ!」などと決めつけたりもしません。私の知るかぎり、かしこいママは、よく疑問形を使います。問いかけて、自分の頭で考えさせるためです。私自身も、なるべく生徒諸君に疑問を投げかけるよう心がけています。自分の頭で考え、判断してほしいからです。
 さて、生徒のみなさんは、第三者の目で自分を見ることが、どれくらいできていますか。特に中学生諸君、定期テストも近いですね。大人に指示されて行動するのではなく、自分の中に「きびしい第三者の目」を持って行動しましょう。しっかり自分の行動をコントロールできる人は、いろいろなことをきちんとできる、そう思いませんか。

「逆算/さかのぼる思考」
2016年5月

 算数の問題です。「ある数に1をたして、さらに2倍してから3をひくと7になりました。ある数はいくつですか。」これは4年生でもできる問題です。みなさんは、すぐに答えがわかりますか。□を使った式をつくると、(□+1)×2-3=7 となります。このような式から□を求めるのが「逆算」です。(答えは下に。)
 今は多くの小学生が、ふつうに解ける問題です。べつに算数が得意でなくても、計算の順番を考えればいいのです。答えが「7」になったという結果から、一つ一つ「さかのぼる」だけで、答えがわかります。
 これは、算数だけの話ではありません。結果からさかのぼる思考パターンは、生活の上でも非常に大切です。なぜその結果になったのかと考え、さかのぼる思考ガができれば、反省することができます。さかのぼって原因をつきとめ、それを今後に活かせば、少し自分が進歩できるはずです。そう思いませんか? 
 たとえば、学校で先生に叱られたとします。その結果に対し『自分のあの態度は、よくなかったな。』などと、さかのぼって考え、自分の言動を反省する人は、進歩します。反対に、全く反省しない人は、進歩しません。あるいは、テストでいい結果が出たとします。喜ぶだけでなく『あの勉強法がよかった。さらに工夫しよう。』などと考える人は、進歩します。さかのぼって「何がよかったのか」と反省しない人は、進歩しません。
 このように、結果から「逆算」して考え、自分の言動を客観的に見て、原因となる部分をつきとめ、それが失敗ならば改め、成功ならば磨きをかけていけば、いろいろなことを上手にできるようになります。
 さて、この逆算ですが、深く印象に残っていることがあります。ゆとり教育の時代、多くの小学生が「逆算は難しい」と感じ、上手に解けませんでした。算数で平均点よりかなり上(偏差値60程度)の生徒でも、逆算は苦手でした。そういう思考をさせなかったからでしょうか。それ以前と今は、多くの小学生が解けるのに。
 制度を導入した「えらい人」たちも、結果から「逆算」して、よく考えてほしいです。もっとも、ゆとり世代の中でも個人差は大きく、逆算の得意な人もいました。のちの人生経験の中でできるようになった人も多いでしょう。
 みなさんは、どうですか。成功したときや失敗したとき、その結果から「逆算」して、自分の言動について反省することがありますか。そしてそれこそ、進歩のカギだとは思いませんか? (問題の答え □=4)

「共感の味わい」
2016年4月

 先日、ある保護者様から「先生は、あまり勉強のできない子の気持ち、お察しくださいますか。」との質問を受けました。そのときは、「まあ、いろいろなお子さんを見ていますので。」と、申しました。
 あとで考えてみました。学習内容について、すぐ理解できる人もいれば、時間のかかる人もいます。そして、同じことを理解するにも、楽だと思う人も、苦しいと思う人もいます。そのときの気持ちは、違うはずです。
 たとえば、男性と女性について考えてみます。男性は、出産を体験できません。ですから、出産の苦しさはわかりません。想像するしかないのです。一方で、個人差も大きいものです。安産もあれば、難産もあります。だから、女性でも人によって、その苦しみは違うはずです。
 同じように、勉強が得意でないという人にも、個人差があるはずです。苦手な人どうしだから、おたがいの気持ちがわかるとは、言えないと思います。人の気持ちを察するのに必要なのは、性質や境遇が同じということではなく、むしろ想像力です。
 たとえば小学生が、むずかしい問題を解けずに悲しげな表情をしているとします。教師が「ここ、ちゃんと見たかい?」とアドバイスします。その子は、はっと気づいた表情を見せ、集中した顔つきになり、がんばって正解を出します。教師に「よくできたね。」とほめられると、笑顔を見せます。教師も、しあわせな気持ちになります。こんなとき、教師は生徒の気持ちを想像し、共感していると思うのです。
 共感が人と人をつなぐとき、人は「人間」として生きている実感を味わうことができます。意識していないとしても、家族や仲間と「わかり合う」感覚は、だれでも味わったことがあるはずです。
 そのカギは、想像力です。この力は学力と関係ないでしょうか。いや、おおありです。想像力は学力向上に不可欠です。たとえば国語。まさに「心情・情景」を想像する力です。さらに数学。たとえば図形の問題です。立体を頭の中で切ったり、図形が移動していく様子を考えたりするには、想像力が必要です。
 そして、ちゃんと努力すれば、想像力を高めることができます。学習を通じて脳のはたらきを高めればいいのです。そのためには、日ごろから深く考え、想像するという学習態度が求められます。浅い理解ではダメ。本気で学習と向き合えば、必ず想像力を高めることができます。想像力だけでなく、いろいろな能力を高めるためにも、本気で学習に取り組みましょう!